器用貧乏は赤魔道士になれ

極小ベンチャー企業のひとり管理部門担当者が、多岐に渡る日々の業務のことだったり全然関係ないことだったりを書くブログ

本を読まなければいけないという焦燥感 ~本を読むということ

こんにちはこんばんは、器用貧乏のケイリです。

はてなブログのキャンペーンにあげられている今週のお題「青春の一冊」ですが、今日は特定の作品を挙げるのではなく、本を読むことについて書いてみたいと思いました。

 

わたしは思春期の頃は人付き合いが苦手なこともあって、隙あらば読書に耽っていました。なので、あの頃は何を読んでいたのだろうかと振り返ってみましたが、あれこれ手当たり次第に読んでいたこともあって、正直なところ一冊に絞ることができません。当時はとにかく興味の湧いた作品は全部読んでました。バイトもしまくっていたので、学生でありながらも本を買うお小遣いには余裕がありました。新刊が出ていないかと、毎日のように書店に通っていました。

 

今でも書店にはよく足を運びます。近所の図書館にも2週間に1度本を借りに行っています。アマゾン内のKindleストアの日替わりセールも毎日覗いています。購入してからもう随分経っているわたしのKindleの中にも、何冊かの積読本が読まれるのを待っています。Kindle手に入れてからはさらに読んだ本の数が増えた気がします。

 

こんなふうに読書を頻繁に嗜むのは今も昔も変わっていません。ですが、読む動機が変わっているような気がします。昔はただ飢えたように本を貪り食っていました。オトナには、本を読まなければ優秀な人間になれないというような偏見のようなものがありますが、自分にとって本を読むことが良いことでも悪いことでもない。自分の心が求めるままに読んでいました。

 

しかし、今はどこか本を読まなければという強迫観念のようなものが自分の中にあります。本を読んで自分の中に何かを常に詰め込み続けておかなければ、自分が空っぽになってしまうような、そんな焦燥感。本を読んで見識を広げ続けなければ社会の生存競争に負けてしまう人間になってしますような、そんなオトナの偏見。

 

本を読むのは相変わらず好きですが、今のわたしは一体何のために本を読んでいるのでしょうか。そもそも本を読むのに目的なんていらないのかもしれませんが、何となく目的が欲しくなってしまう、そんな自分がちょっと好きではありません。本の中の世界にダイブするのに何の打算も理由も必要ではなかった、あの頃のように本を楽しめる自分に戻れたらいいなと思います。