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器用貧乏は赤魔道士になれ

極小ベンチャー企業のひとり管理部門担当者が、多岐に渡る日々の業務のことだったり全然関係ないことだったりを書くブログ

自分が嫌いな人は本当は自由になれる人

雑感

  たとえば、わたしが簿記を勉強する学校に通っているとします。

 まぁ、プログラミングの専門学校でも、語学学校でも、看護学校でも何でもいいんですが。

 なぜ簿記の学校に通うのかというと、わたしが経理の職に就きたいと思っていて、でも今現在は経理職ではないからです。

 

 一般的には、やりたいことを選択できることが「自由」であると解されますが、上記の例でもう少し突き詰めて考えていくと。

 経理職でない現状を変革するために、自分が経理職ではないという状況から未来に向かって自分を放りだしたとき、そこに自由が生まれます。

 

 たとえば、勤めている会社が資金難で傾いているとして。

 わたしは内心胃がキリキリする不安に苛まれるこの状況を打破するために、転職サイトを除いてみたり、いっそ開き直ってこの状況をブログに面白おかしく書いてやろうと決めたとします。

 不安で楽しくない状況を変えるため、不安でどうしようもない状況からそうでない未来に向かって動き出したとき、わたしはもう自由なのです。

 

1.現状に満足していないから

2.満足できるであろう状況を作るという目的をもって

3.満足できるであろう状況を思い描いて

4.そこに向かって自分をえいやっと投げつける

 

 そういうことができるのが自由であるということ。

 

 もし自分が現状に満足していれば、2.3.4.のアクションは起こりえないので、自由にはなれません。

 もし自分が現状に満足していないことに気が付かなければ、これもまた次のアクションに繋がりませんので、自由にはなれません。

 

 現状に不満な状況って誰でも嫌でしょ。

 不完全な自分なんて見たくもないでしょ。

 だから、そこから始まるしかない自由なんて、本当は誰も欲しくないでしょ。

 

 だけど。

 

 満足しきった現状なんて、そうお目にかかれるものではありません。

 現実世界は理不尽に溢れていますし、自分大好き人間にはそうそうなれません。

 それ故に、

2.満足できるであろう状況を作るという目的をもって

3.満足できるであろう状況を思い描いて

4.そこに向かって自分をえいやっと投げつける

 ということができることが大事です。

 そして、そこには自由であるのです。

 

 だから、自分が嫌いな人は、自由を得るチャンスを持った人です。