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器用貧乏は赤魔道士になれ

極小ベンチャー企業のひとり管理部門担当者が、多岐に渡る日々の業務のことだったり全然関係ないことだったりを書くブログ

撤退も進むべき道のひとつ

 2000年代の初頭、経済産業省が発表した「大学発ベンチャー1000社計画」の基でバイベンチャー企業が乱立しましたが、当社も産学連携から端を発しました。

 

 設立当初の代表取締役は研究者でした。複数の企業がお金を出して研究を委託し、ベンチャーキャピタルがファンドを組んで出資し、いくつかの補助金事業にも採択されました。

 その上でアカデミアの協力を得ながら研究を進め、その研究成果を実用化し、事業化する。そういう計画を持って設立されました。

 

 会社設立から数年後、研究成果の事業化とIPOに向けての体制づくりのため、代表取締役が研究者から営業畑の人物に変わり、研究者ばかりだった社内にも営業系や経営企画系の人材が加わりました。

 この頃はまだまだ前途洋洋で、希望に満ち溢れた時代でした。資金繰りに困ることもなく、個人投資家や企業からの出資も相次ぎました。

 

 しかし、企業運営はうまく進みませんでした。研究成果を製品化もしくはサービス化して事業展開するのが困難でした。

 当時の資料を見ると、そもそも事業化までの絵を具体的に描けていないように思われます。

 

 また、この頃始めた新規事業(実用化した研究成果もこの事業でも活かせるはずでした)があるのですが、広い市場性のあるものではなかったのです。

 結局販売の拡大がかなわず、得られる収益も事業経営の助けになるほどではありませんでした。

 

 当初設定された研究期間が終了した頃、現在の代表取締役に変わりました。この社長と、同時期に外部から就任した副社長は、社内に渦巻く様々な問題に直面し、それらに対処しなければなりませんでした。

 これまでの研究成果の取捨選択、業者の再選定など過剰な支出の見直し、事業方針の再構築、必要な人材の精査、etc…

 

 この会社が抱えていた問題はこの時点でかなり整理されましたが、抜本的改革と呼ぶにはまだ足りませんでした。IPOに向けて抱えた従業員や、前述の新規事業に関わる従業員の整理はしましたが、研究部門の人員構成をほとんど変えなかったのです。

 

 社長自身が研究者・技術者畑出身の人なので、研究分野を容赦なく縮小できなかったのでしょう。しかしその結果、研究部門にも収益性を求めざるを得ない体制になってしまったのです。

 今までお金や仕事を自分の力で取ってくることなど意識したことのない研究者や技術者に、研究を受託する仕事を企業に売り込んでこいというのが土台無理な話なのです。

 

 今思えば、この時に思い切ってもっと大きく舵を切り、まず収益の上がる事業の構築に資源を集中させ、営業キャッシュフローの改善が見込める基盤づくりを優先させていれば、資金ショートという事態は避けられたかもしれません。

 いえ、そもそも資金があるうちに会社を清算して、その保全した資金で次のチャレンジに賭けるという方法もありました。

 まさに撤退戦略の意思決定がいかに難しいかの実例だったと思います。

 

戦略的事業撤退の実務

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